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* [[1873年]]([[明治]]6年) - [[桃生郡]]釜谷小学校開校。
 
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* [[1887年]](明治20年) - 長面[[尋常小学校]]と改称。
 
* [[1887年]](明治20年) - 長面[[尋常小学校]]と改称。

2012年11月24日 (土) 23:16時点における版

石巻市立大川小学校

石巻市立大川小学校(いしのまきしりつ おおかわしょうがっこう)は、宮城県石巻市釜谷山根にある公立小学校である。旧桃生郡河北町に位置する。

沿革

石巻市立大川小学校

東日本大震災

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)河口から約5kmの距離にある当校を襲い、校庭に避難していた児童108名中70名が死亡、4名が行方不明(2012年1月23日現在)、教職員13名中、校内にいた11名のうち9名が死亡、1名が行方不明(2011年4月9日現在)となった。スクールバスの運転手も死亡している。

地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあり、学校南側の裏山は急斜面で足場が悪いことから(泥炭地で足が滑りやすいと判断されていた。津波が来た際にあわてて裏山に登り助かった児童も雪で足を滑らせながらもよじ登った。)、約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)を目指して移動し始めた。その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込んだ。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がるなどして、一部は助かった。

その後のマスコミ取材で、裏山と三角地帯が避難先の候補となり、山へ逃げるという意見と、老人も含まれている事を考慮して三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に三角地帯を目指した事が分かってきている。なお、目ざした三角地帯も、津波に呑み込まれている。

宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入り、津波は来ないとされている大川小学校は避難所に指定されている。このため、地震の後、高齢者を含む近所の住民が避難してきていた。被災後の議論で石巻市教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している。

難を逃れた児童22名は新学期より、同校より10km離れた石巻市立飯野川第一小学校へ通学している。大川小には、犠牲者を慰霊するために制作された母子像が設置され、2011年10月23日に除幕式が行われた。

小学生「おい裏山に逃げようぜ!」「ここにいたら死ぬ」先生「は?戻れ!」→74人死亡

この日、大川小の柏葉照幸校長(当時)は、年休を取り、学校には不在だった。 教務主任のA教諭(教職員として唯一の生存者)は、廊下から「校庭へ避難しろ」と叫んでいた。

子どもたちは早足で、校庭へ出た。上履きを靴に履き替えたり、自分の判断でジャンパーを着用したりした子どももいた。外では、小雪が舞い始めていた。A教諭は、校庭に出ると「山だ! 山だ! 山に逃げろ」と叫んだ。それを聞いて、山にダーッと登っていった子がいたが、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻された。 

5、6年生の男子たちが、「山さ上がろう」と先生に訴えていた。当時6年生の佐藤雄樹君と今野大輔君は「いつも、俺たち、(裏山へ)上がってっから」「地割れが起きる」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と、くってかかっていたという。

2人も一旦校庭から裏山に駆けだしたが、戻れと言われて、校庭に引き返している。防災無線では、「海岸線や河川には近づかないでください」と呼びかけていた。教頭の持っていたラジオでは、6メートルの大津波警報を伝えていた。

担任教諭たちが校庭で点呼をとり、教頭へ報告。遅くとも午後3時前には完了していたと思われる。数分ごとに、たびたび余震が起きていた。校庭では、女の子たちが泣いていた。「地震酔い」なのか、吐いている子もいた。

哲也君は、夢中で山をよじ登ったが、後ろから津波の強い衝撃を受けて気を失った。同じように津波にのまれて、流れてきた冷蔵庫に入って助かった同級生が、体が半分ほど土に埋もれていた哲也君を助け出した。

通学区域

石巻市福地、針岡、釜谷、長面、尾崎の全域が大川小学校の通学区域に指定されている

関連項目

外部リンク