青林堂

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株式会社青林堂(せいりんどう)は、東京都渋谷区に本社を置く出版社である。

長井勝一1962年神田神保町で創業。当初は貸本漫画を中心に出版していたが、1964年から白土三平の協力のもと、日本初のオルタナティブ・コミック誌『月刊漫画ガロ』を創刊(2002年から休刊中)。

「バカ」「左翼」「スパイ」老舗出版社の従業員が浴びた罵詈雑言の数々[編集]

パワハラで精神疾患になり働けなくなったなどとして、漫画誌「ガロ」を発行していた出版社「青林堂」の従業員、中村基秀さん(48)=休職中=が青林堂と社長らを相手取り、慰謝料や未払い賃金計約2,000万円を求める訴えを東京地裁に起こした。

中村さんは提訴時の会見で「パワハラで苦しんでいらっしゃる皆さんが助かるためのヒントになるような戦いができれば」と語った。一方の青林堂は「訴状を見ていないのでコメントできない」としたが、公式ツイッターで男性が加入した労働組合を批判。騒動は「会社」対「労組」の様相を呈している。

訴状や会見時の説明によると、中村さんは「ガロ」の営業部長を務めた後に退社。平成26年6月に社長の口利きで再び入社したが、労働組合に加入したことを理由に解雇。東京地裁で解雇無効となり平成27年10月に復職したものの、他の従業員から隔離され、社長から「お前がバカだからできない」「左翼だ」「君の名前も公安に知らせている」などの発言や不当な業務命令を受けたという。中村さんは平成28年2月に会社に指定されたクリニックで「鬱病」と診断され、休職している。

提訴に当たっての会見で中村さん側が示したのが、300時間にわたるという社長や専務、他の社員との会話記録だ。音声データを書き起こしたもので、その一部を抜き出してみると…。

〈平成27年10月29日〉

専務「やってないじゃん。企画考えてないじゃん。自費出版」
中村さん「考えてます」
専務「じゃあ出してよ。自費出版の企画」
中村さん「何もできないじゃないですか、今」
社長「お前がバカだからできないんだよ!」
専務「そうだよ」
中村さん「バカだからできないんですか」
専務「そうだよ。能力が足りないからじゃない」
社長「みんなできることじゃないか、こんなことは」

訴えによると、中村さんは復職後、他の社員とは別の階に隔離され、会社から与えられたパソコンも、インターネット社内LANプリンターにつながっていないものだった。スマートフォンの使用も禁止され、外出や電話も許されず、事実上仕事ができない状態に置かれていたという。

〈28年1月19日〉

専務「テープ起こしの続きだね。(中略)じゃあ今日終わるね」
中村さん「ほぼ。(中略)ああ、もう全部終わってますね」
専務「はい。で、業務の報告するときには」
中村さん「はい」
専務「アルバイトさんの手伝いって書いといて」
中村さん「……」
専務「アルバイトさんの手伝い。これ、アルバイトさんの仕事なの、起こしは。だから、アルバイトさんの仕事、テープ起こし、アルバイトさんの補助って書いといてください」

中村さんによると、会社は勤務時間をタイムカードにつけさせていたが、そのタイムカードや勤務記録に「アルバイトの補助」と書かせたり、勝手に「スト中」と書き込んだりしたという。原告側は会社側が男性にパワハラで精神的な被害を与えたと訴え、スト扱いとして減額した賃金などの支払いを求めている。ただ、訴状とともに裁判所に提出された会話記録を追っていくと、中村さんと会社側の対立の根底にあるのが「労働組合」であることが分かってくる。

会話記録によると、社長らは「全ての元凶はユニオン」「労働組合といったらみんな左翼」「君たちは左翼の巣窟だと思ってる」などと、労組に対する批判をたびたび行っている。

〈27年12月3日〉

社長「君の名前も当然、公安には知らせてるし(略)。公安監視対象になってるよ」
中村さん「ぼくもですか」
社長「当たり前じゃん、そんなの。公安っていうのもいろいろ見るわけよ。で、うちも、ほら、保守だから」

〈28年1月22日〉

専務「中村君さ、自分は社長に好かれてると思う?信頼されてると思う?」
社長「自分だよ」
専務「質問」
中村さん「それはないんじゃないですか」
専務「あり得ないよね。じゃ、嫌われてるよね、社長にね」
社長「おれは嫌ってるから」
専務「信頼されてないよね」
中村さん「そうかもしれませんね」
専務「そうかもしれないじゃないのよ」
社長「そうだよ」
専務「だって、自分が社長に信頼されるようなこと、何した?」
社長「おれにとってプラスなこと、何した?」
専務「何した?売上は上がらない。会社はめちゃめちゃにする。ブラック企業だって言われる(中略)」
社長「周囲に知らせて、うちのスパイじゃん」
専務「スパイだよね。スパイって楽しかった?」

原告側は、こうした発言が労組に対する根拠なき誹謗中傷で、組合の名誉を傷つけるものだと主張している。

一方の青林堂側は提訴に際し、「訴状を受けとっておりませんので、コメントは差し控えます」としたが、ツイッターで「労組の活動によって会社や組合員以外の社員が被害を受けている」といった主旨の発言をたびたび行っている。

舞台を「法廷」に移した両者の対立。第1回の公判期日はまだ決まっていないが、組合側は「4月ごろには始まるのではないか」と話している。

歴史[編集]

ガロ時代 =[編集]

青林堂創業者の長井勝一と漫画家の白土三平が共同で漫画雑誌『月刊漫画ガロ』を創刊、全共闘時代の大学生に強く支持され一世を風靡した。

青林堂は商業的なメジャー系出版社の漫画事業と対極のスタンスで、掲載作品の作品性を重視する編集方針を取り、白土三平水木しげるといった有名作家から、つげ義春花輪和一蛭子能収内田春菊ねこぢる山田花子根本敬みうらじゅん林静一丸尾末広久住昌之古屋兎丸といった「ガロ系」と称される一群の漫画作家に表現の場を与え輩出し、日本漫画文化史上に一時代を築いた。

1960年代の『ガロ』は、白土三平の『カムイ伝』と水木しげるの『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ義春、滝田ゆう、つりたくにこ、永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。新人発掘にも力を入れていた当時の青林堂には、毎日のように作品が郵送で届き、多いときには2日、最低でも3日に一人は作品を小脇に抱えた若者が訪れたという。当時の編集部では実質的に編集を任されていた高野慎三(権藤晋)と長井の二人で新人を発掘していった。高野は特に『ガロ』に発表された“既成のマンガのワクを乗り越え、新しいマンガの創造を”と謳った「白土テーゼ」を信奉し、つげ以降のマンガ表現に大いなる関心を寄せていた。

つげ義春が1970年の『やなぎ屋主人』完結を最後に休筆に入ったのに加えて1971年には白土の『カムイ伝』が終了、これと共に『ガロ』の売上は徐々に下降線をたどり、1980年代には、バブルで金余りの世相にありながら、神田神保町明治大学裏手の材木店の倉庫の二階に間借りして細々と営業する経営難を経験する。この頃になると社員ですらまともに生活が出来ないほど経営が行き詰まり、原稿料も既に支払を停止せざるを得なくなっていた。

その一方で「『ガロ』でのデビュー=入選」に憧れる投稿者は依然多く、部数低迷期にあってもその中から数々の有望新人を発掘していった。新入社員も1名募集すると100名200名が簡単に集まったという。

多くの作家や読者の支援により低迷しながらも会社は存続したが、1990年代に入り創業者である長井勝一の高齢と経営難からPCソフト開発会社の株式会社ツァイトの経営者である山中潤が経営を引き継ぐ。

その後、『ねこぢるうどん』や『南くんの恋人』のヒットや映画のタイアップ企画などによる単行本の好調もあったが、経営は慢性的に厳しい状況が続き、親会社のツァイトがPCソフトのプラットフォームがMS-DOSからWindowsへと変わる時代の変化に乗り遅れ、経営が悪化。1997年外部より福井源が肩代わりをする形でツァイト社長に就任した。1995年には東京都千代田区神田神保町の材木屋2階から渋谷区の雑居ビルに社屋を移転する。

漫画出版から総合出版へ[編集]

『ガロ』休刊後も過去の名作漫画のオンデマンド出版を行っていたが00年代半ばには新作の供給が途絶えた。2009年から定期刊行を始めた成年向け漫画雑誌『ぷるるんMAX』も2011年3月を以って休刊となり、漫画界の第一線から完全に姿を消すことになった。

2010年代に入るとサブカルチャー色は薄まり、代わりに右翼復古主義系色彩を強め、2011年にオピニオン雑誌『ジャパニズム』を創刊した。久松文雄の「まんがで読む古事記」は2012年に神道文化会主宰の神道文化賞を受賞した。2015年には『日之丸街宣女子(ひのまるがいせんおとめ)』『テコンダー朴』『新版 朝鮮カルタ』『そうだ難民しよう! はすみとしこの世界』など、過激な風刺やエスニックジョークを含んだ漫画単行本を立て続けに出版し、論議を呼んでいる。

現経営者の蟹江幹彦は、青林堂の保守・右派路線への転向は「経営上の問題」であるとしながらも、「他のジャンルの売り上げが減った分を保守本が補填してくれている」と述べている。

裁判[編集]

  • 青林堂の分裂騒動後、青林工藝舎との間で訴訟継続中であったが和解で終了した旨が『ガロ2002年2月号に掲載された。
  • 2013年11月に出版の井上太郎著『日本のために 井上太郎@kaminoishi』によって名誉を毀損されたとして、対レイシスト行動集団構成員の木野寿紀が青林堂を提訴。2015年6月15日に和解が成立し、木野に慰謝料25万円を支払い、公式ウェブサイトから記事を削除して謝罪文を掲載し、該当記載を削除した書籍の改訂版を出版することで合意している。著者の井上への提訴も行う意向であったが、井上の「所在がつかめなかった」ために、訴訟を取り下げている。

スタッフ[編集]

1960年代[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

年表[編集]

参考書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]