花ざかりの森

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花ざかりの森』(はなざかりのもり)は、三島由紀夫短編小説。雑誌「文藝文化」1941年(昭和16年)9月号から12月号に掲載され、単行本は1944年(昭和19年)10月15日に七丈書院より、処女短編集『花ざかりの森』として刊行された。三島の公に出版された初めての小悦である。同書には他に4編の短編が収録されている。現行版は新潮文庫の『花ざかりの森・憂国』で重版されている。

本作は、話者である「わたし」の祖先をめぐる4つの物語からなる。一貫したストーリーというものはなく、祖先への強い憧れとアンニュイな雰囲気が漂う追憶と観念的な挿話が断片的に織りなす作品である。最後の文章は澄んだ静謐を描いていて、三島の遺作『豊饒の海』のラストを思わせるような終り方となっている。

エピグラフに、シャルル・クロスの『小唄』の「かの女は森の花ざかりに死んでいつた、かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた」(譯:堀口大學)が使われている。

学習院の国語教師で、同人雑誌「文藝文化」の一員であった清水文雄は、平岡公威(三島の本名)から渡された『花ざかりの森』を初めて読んだとき、「私の内にそれまで眠っていたものが、はげしく呼びさまされ」と感じたという。そして1941年(昭和16年)夏、伊豆の修善寺での「文藝文化」編集会議で同人らへ本作を見せたのが、『花ざかりの森』の「文義文化」掲載のきっかけであった。同人らは「天才」が現われたと言って、掲載を一決したという。雑誌掲載にあたり、当時まだ平岡公威が学習院の中学生であったことや、公威の文学活動を反対していた親(平岡梓)の思惑などを憂慮し、清水文雄と同人たちが筆名(ペンネーム)での作品発表を提案した。清水は、「今しばらく平岡公威の実名を伏せて、その成長を静かに見守っていたい― というのが、期せずして一致した同人の意向であった」と、修善寺での同人誌合宿会議を回想している[1]

あらすじ[編集]

この土地へ来てから、「わたし」はよく追想するようになった。わたしはときどき、遠くの池のベンチなどで、たたずみ微笑している「祖先」と邂逅する。わたしの告白から、ひとは紋付と袴をつけた老人を想像するかもしれないが、そうした場合は稀である。その人は、度々、背広を着た青年であったり、若い女であったりする。かれらはみな申し合わせたように地味な目立たない、整った様子をしている。そして、ある距離までくると魚が水の青みに溶け入ってしまうように、その親しい人は木漏れ日に解けてしまう。

わたしは生まれた家を追想する。祖母、母、父。憧れはちょうど川のようなものだ。祖先たちからわたしに続いたこの一つの黙契。その憧れはあるところで潜み、あるところで隠れていて死んでいるのではない。祖母と母において、川は地下を流れた。父においてそれはせせらぎになった。わたしにおいて、―ああそれが滔々とした大川にならないでなにになろう、綾織るもののように、神の祝唄(ほぎうた)のように。

死んだ祖母の持ち物から、熙明夫人の日記が見つかった。彼女もまたわたしの祖先である。夫人の日記を見ると、彼女はある夏の日に、百合の叢のあいだにきらきら光る白いものを見ていた。それは一度見たことのあるような女人であった。そしてその胸には夫人の母が身につけ、今は自分が付けている十字架が光っていた。それから半年後、熙明夫人は亡くなった。

平安末期、ある女人が情夫の殿上人へ捧げた物語がある。その殿上人は、わたしの遠い祖先の一人であった。女人には幼なじみの寺の坊主がいた。しかしこの男は煩悩が捨てきれず、彼女にたびたび手紙をよこした。彼女は殿上人のつれなさやあてつけから、その幼なじみへ心をかたむけていった。そんないきさつから女人の物語は綴られていた。修行僧の男は女と都を出奔し、ふるさとの紀伊にやって来た。しかし女はひとり海辺に立ってから気が変り、密かに男から逃れ出て、京の都へひとり戻り尼になった。女は、「海への怖れは憧れの変形ではあるまいか」などと記していた。

ここに一枚の写真がある。わたしの祖母の叔母である。彼女は幼い頃、海に憧れていた。そして、いつの頃からか死んだ兄が言っていた「海なんて、どこまで行ったってありはしないのだ。たとい海へ行ったところでないかもしれぬ」という言葉がわかるような気持にもなってきたが、海を見ることは変らず好きであった。彼女は伯爵である夫がおとろえ死んだのち、とある豪商の求めを受けて再婚した。この夫は南の海へ仕事をすすめていたが、東京で住いを営みたいと思っていた。しかし彼女の強い希望で夫婦は南の海の島で暮らすこととなった。しかし、島での生活にもかかわらず、彼女のあこがれは満たされることなく、まもなくこの夫と別れ帰国した。そして純和風な家をたて死ぬまでの40年間、一人身の尼のように暮した。

老いた彼女は客人が来ると庭に案内した。竹林を抜けた高台に立つと、そこからは海も見えた。彼女は毅然として立ち、その白髪はたゆたっていた。涙ぐんでいるのか祈っているのかわからない。まろうど(稀人、客人)は風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーっと退いてゆく際に、眩ゆくのぞかれるまっ白な空をながめた。なぜかいらだたしい不安に胸がせまって。「死」にとなり合わせのように、まろうどは感じたかもしれない、生(いのち)が極まって独楽(こま)の澄むような静謐、いわば死に似た静謐ととなり合わせに。

初版刊行本[編集]

  • 『花ざかりの森』(七丈書院、1944年10月15日) 
同時収録:みのもの月、世々に残さん、苧菟と瑪耶、祈りの日記
カバー装幀:徳川義恭。紙装。本文用紙に和紙使用(若干数の洋紙刷本あり)。
「跋に代へて」、中扉裏に「清水文雄先生に献ぐ」と献辞あり。
奥付頁にある著作者略歴に「大正四年生」と誤植があり、訂正紙を貼付(ごく一部著者・三島が自筆で訂正したものがある)。

作品評価・解説[編集]

本作に対し、「文藝文化」の同人であった蓮田善明は、「『花ざかりの森』の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。若し強ひて知りたい人があつたら、われわれ自身の年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであらう。この年少の作者は、併し悠久な日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此作者を知つてこの一篇を載せることになつたのはほんの偶然であつた。併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである」[2]と賛辞を呈した。

豊饒の海』のラストによく似た本作の大団円は、またエピグラフに絡ってゆく。「“かの女は森の花ざかりに死んで行った”、なぜなら、“かの女は余所にもっと青い森のあることを知っていた” から。…読者はここに展開された花ざかりの森が一場の幻であったことを知るのである。それはあたかも女性コーラスによる海への賛歌であり、また葬送曲であるようにも思われる。それは、静謐、その心設けだったのだろうか」[3]田中美代子は解説している。

脚注[編集]

  1. 清水文雄「『花ざかりの森』をめぐって」(『三島由紀夫全集1』付録月報)(新潮社、1975年)
  2. 蓮田善明文藝文化 昭和16年9月号 編集後記』
  3. 田中美代子『三島由紀夫 神の影法師』(新潮社、2006年)

参考文献[編集]

関連事項[編集]

三島由紀夫
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