入来祐作

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入来 祐作(いりき ゆうさく、1972年8月13日 - )は、元プロ野球選手投手)。現在は横浜DeNAベイスターズの用具係を務めている。

兄は元プロ野球選手の入来智。弟・博之は、かつてTDKでプレーしていた。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

亜細亜大学在学時は東都大学リーグで通算54試合登板し23勝21敗、防御率3.22、234奪三振。しかし4年時の秋に血行障害を起こしリーグ戦で登板できなかったため、プロからドラフト会議で指名されず本田技研に入社。1996年第67回都市対抗野球大会で優勝し橋戸賞を受賞。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツに1位指名され入団。

巨人時代[編集]

1997年、主に中継ぎ要員としてチーム最多の57試合に登板した。勝利数は1勝に留まったものの、セットアッパーからロングリリーフ、敗戦処理、谷間の先発までをこなし、投球回数を上回る94奪三振を記録するなど潜在能力の高さを示した。

1998年、バルビーノ・ガルベスが乱闘事件を起こし出場停止処分を受けたことにより、ガルベスに代わるローテーション投手に抜擢され7勝を挙げた。その年の日米野球では当時、年間66本塁打を打ったサミー・ソーサから三振を奪う。これがのちの大リーグ挑戦に繋がったといわれる。

1999年、前年の活躍で開幕からローテーションに入るが不調に陥る。この年2軍でノーヒットノーランを達成。この年に兄の入来智近鉄バファローズから巨人へ移籍してきたため、球団史上初の現役兄弟選手となった。2000年までの2年間は兄弟揃って巨人に在籍していた。その際のスコアボード表記は入来弟

2001年、入来にとって飛躍の年となった、前年の不振からオフに下半身を鍛えなおしたことで下から上に浮き上がってくるライジングボールの威力が増し、ガルベスの教えによって習得したチェンジアップにより投球に緩急がつけられるようになり、これが好成績につながった。4月12日の中日戦で8回1/3を1失点に抑えて2年振りの勝ち星を挙げた。5月2日の中日戦では約3年振りの完投勝利、次の登板の広島戦では広島のエースだった佐々岡真司と投げ合い、初完封を記録。前半戦に8勝をあげる活躍により、監督推薦でオールスター戦に初出場、第1戦に先発し2回途中で兄の入来智と交代、オールスター戦史上初の兄弟リレーを実現した。8月1日の中日戦で川上憲伸と投げ合いこのシーズン2度目の完封勝利を収めた。最終的にはチーム最多の13勝を挙げて、ヤクルト(当時)の藤井秀悟と最後まで最多勝利を争い、1勝足らずでタイトルを逃した。勝率はリーグトップだったが、セ・リーグに最高勝率のタイトルが無かったため、タイトル獲得は出来なかった。

2002年、足の故障により離脱し、5勝4敗、防御率3.05に終わる。日本シリーズでは第5戦の先発が予想されていたが、巨人の4連勝により登板はなかった。7月25日甲子園球場での対阪神戦で、打者ジョージ・アリアスへの投球が背後に大きく外れ、アリアスが抗議すると入来が「来い!」と両手で自分の胸を叩くジェスチャーをしたためアリアスは激怒し、入来を片腕で抱え込み殴打。乱闘騒ぎとなった。

2003年、オープン戦初戦で足を怪我してしまい、この怪我の影響により一軍での登板はなかった。

日本ハム時代[編集]

2003年オフ、井出竜也との交換トレード北海道日本ハムファイターズに移籍。このとき、2年後のメジャーリーグ挑戦を希望し問題となった。

2005年開幕時は中継ぎだったが、先発投手の相次ぐ故障、不調により5月から先発ローテーションに入る。ブレークした2001年の球威を取り戻し好投を続けた。特に7月17日の楽天戦では先発し、10回1安打無失点の好投をみせる。相手投手の有銘も9回5安打無失点と好投したため白星はつかなかったが、お立ち台にあがった。8月13日のソフトバンク戦でも杉内俊哉と投げ合い、3年ぶりの完封勝利を挙げた。結果、前年の2勝4敗の成績を大幅に上回る6勝7敗の成績を挙げた。

米球界時代[編集]

同2005年オフに日本ハムから推定2年2億円の年俸を提示されるが固辞し、メジャーリーグへの挑戦を表明。メジャー契約でニューヨーク・メッツに移籍。

2006年は開幕枠に残れずマイナースタート。4月20日、メッツとマイナー契約を再締結し、メッツ傘下3Aノーフォーク・タイズに所属。4月28日に禁止薬物違反(アナボリックステロイド)として50試合の出場停止処分を受け、6月に復帰。(日本人選手の薬物違反による出場停止は2005年5月に当時に2Aバーミンガムに所属していた亜大の1年後輩である養父鉄以来、2例目だった。なお、ステロイドはドーピング目的に摂取したものではなく、当時栄養補給のために常用していたサプリメントの成分が影響したミスとされている。)同シーズンオフにFA申請。11月15日、メッツより解雇通知を受ける。

2007年3月31日、トロント・ブルージェイズの入団テストに合格し、マイナー契約を締結。5月9日、マイナーリーグダニーディン・ブルージェイズの先発投手としてパームビーチ・カージナルス相手にシーズン初登板。4回2/3を投げて4安打4失点の結果を残す。5月14日のタンパ・ヤンキース戦で、シーズン初勝利。5月18日、ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツに合流、5月19日初先発。6月20日、シラキュース・スカイチーフスに合流、6月21日初先発。結局、メジャーリーグでの登板は叶わなかった。『週刊ベースボール』2008年5月5日号の「週ベ・ドキュメンタリー 野球浪漫2008 白球入魂 ―男たちのドラマ―」という連載記事で5ページの特集が組まれ、メジャー挑戦2年間の苦闘を入来本人が語った。

横浜時代・引退後[編集]

2007年10月に横浜ベイスターズの入団テストを受け合格。2008年は開幕一軍入りを果たし3試合に登板したが、防御率8.53と結果を残せず、10月1日に戦力外通告を受けた。その後、現役引退を表明。

2009年には横浜の打撃投手を務めていたが、仕事に馴染めず翌年から用具係に配置転換された。入来本人の弁によれば、打者が打ちやすい球を投げなければいけないというプレッシャーからストライクが全く入らなくなり、程なくして打撃投手失格の烙印を押されてしまったという。2008年3月14日に放映された『バース・デイ』では「入来祐作35歳 瀬戸際に立った男の挑戦」と題して日本球界に復帰するべくオリックス横浜の入団テストに挑んだ入来の姿が放送された。

プレースタイル[編集]

躍動感溢れる飛び跳ねる様なフォームから投じる最速150km/hのストレートを軸に、スライダーやカーブなどの変化球で打ち取っていくコンビネーションが持ち味。マウンド上で闘争心をむき出しにする投球スタイルで、良くも悪くも感情が表に出る投手だった。

元巨人・入来祐作氏「用具係への抵抗むちゃくちゃあった」[編集]

巨人→日ハム→米球界→横浜と移り歩いた入来祐作は、横浜スタジアムの本塁付近で、ネットとボールを運んでいた。

通算215試合登板。35勝35敗。防御率3.77。いま41歳。DeNAで用具係を務めている。破れたネットを「漁師のオヤジみたいに縫い直し」、練習ボール、打撃ケージや防御ネットを準備するために、選手より2時間早くグランドに来る。試合後は、選手のユニフォームをクリーニングに出すランドリー担当者との打ち合わせまである。

ドラフト1位で巨人入団。豪快なフォームから150キロのストレートを闘志むきだしで投げた。躍動感あふれる投球スタイルは多くの人に感動を投げこんだ。

午後2時半のスタジアム。球場職員が、ケージ、トスバッティング用のネットを運んでいる。彼らの指揮を執るのが用具係である。ひとりふたりに声をかけたあと、みずからも運ぶ。

「用具係? そんな仕事があるのも知らなかったです。ぼくひとりでやってます。グラブ、バット、スパイクの納品数を確認し、打撃ケージや防御ネットを準備し」

米球界から帰って横浜の入団テストに合格。開幕戦一軍入りを果たし、3試合に登板した。だが、結果が残せず、オフに引退。

「用具係への抵抗、むちゃくちゃありました。最初は〈バッピ=バッティングピッチャー〉をやってたんですが。いやでいやでしょうがなかった」

現役は、相手に打たれないように投げる。バッピは、相手に合わせて打たせる。真逆である。

「だめだ。無理だ。やめよう。諦めかけたときに、用具係にと手を差し延べてもらいました」

入来は、兄・智も元巨人の投手。そろって活躍した。

「いまだに四苦八苦している兄を見ているので、こんな仕事も頑張れるのだと思っています。給料? 劇的に下がりましたよ」

兄は故郷・宮崎県都城に帰り、コンビニに勤め、いま手づくり弁当屋〈かかし亭〉のオーナー。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

1997 巨人 57 1 0 0 0 1 6 2 -- .143 368 90.0 64 9 37 3 5 94 2 0 31 31 3.10 1.12
1998 30 11 1 0 0 7 2 0 -- .778 397 98.0 70 9 38 1 2 99 1 0 39 39 3.58 1.10
1999 31 12 0 0 0 1 6 0 -- .143 355 79.2 97 16 32 4 1 57 2 0 42 40 4.52 1.62
2000 7 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 75 16.1 20 3 7 1 0 10 2 0 8 7 3.86 1.65
2001 27 26 5 2 0 13 4 1 -- .765 677 162.1 143 19 58 1 2 137 2 0 68 67 3.71 1.24
2002 21 18 1 1 0 5 4 0 -- .556 556 133.0 120 13 26 0 5 115 1 0 51 45 3.05 1.10
2004 日本ハム 11 10 0 0 0 2 4 0 -- .333 219 45.0 57 8 32 0 2 38 2 0 40 36 7.20 1.98
2005 28 20 2 1 0 6 7 0 0 .462 658 150.2 147 16 65 2 8 122 3 0 70 56 3.35 1.41
2008 横浜 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 30 6.1 7 0 2 0 2 2 0 0 6 6 8.53 1.42
通算:9年 215 100 9 4 0 35 35 3 0 .500 3317 781.1 718 93 295 12 27 674 15 0 355 327 3.77 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

その他の記録

背番号[編集]

  • 20 (1997年 - 2003年)
  • 49 (2004年 - 2005年)
  • 36 (2008年)
  • 107 (2009年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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