一和会

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一和会の代紋

一和会(いちわかい)は、神戸市に本拠を置き、昭和59年(1984年)6月13日から平成元年(1989年)3月30日まで活動した日本暴力団

概要[編集]

1984年6月、四代目山口組組長に竹中正久が就任したことに反対する勢力が、山本 広を会長として「一和会」を結成した。発足時、会の名称は「かずわかい」であったがマスコミが「いちわかい」と呼称したため、以後「いちわかい」を使用するようになった。

当初は山口組より優勢だったが、切り崩しによって次第に劣勢に立たされていった。これを挽回するために竹中暗殺を計画し、竹中行きつけのマンションに部屋を借りるなど周到な準備を行って、1985年1月、竹中と、若頭・中山勝正、警護役の若中・南 力の3人を射殺し、山口組の序列1位、2位を一挙に倒し衝撃を与えた。しかし、このことが逆に山口組側からの激しい報復を招くことになった。

山口組との抗争(山一抗争)の長期化で勢力は激減し、1988年5月には、一和会序列2位の副会長兼理事長・加茂田重政が引退して加茂田組を解散した。また、会長の山本宅に爆発物を用いた攻撃が行われたことなどもあって、それから数ヵ月のうちに最高幹部のほとんどが一和会を脱退するに至った。

1989年3月、山本は引退し、一和会を解散した。

最高幹部[編集]

脚注[編集]

  1. 溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9のP.292
  2. 山平重樹『北海道水滸伝』双葉社<双葉文庫>、1999年、ISBN 4-575-50698-2のP.380

参考文献[編集]

関連項目[編集]