川上操六

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<!--表示不良のテンプレートをコメントアウト {{基礎情報 軍人 | 氏名 = 川上 操六 | 各国語表記 = | 生年月日 = [[1848年]][[12月6日]] | 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1848|12|6|1899|5|11}} | 画像 = Kawakami Soroku.jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = 川上操六 | 渾名 = | 生誕地 = [[薩摩国]] | 死没地 = | 所属政体 = {{JPN1947}} | 所属組織 = {{IJARMY}} | 軍歴 = 1871 - 1899 | 最終階級 = 陸軍[[大将]] | 指揮 = 参謀総長 | 部隊 = | 戦闘 = [[戊辰戦争]]<br />[[西南戦争]]<br />[[日清戦争]] | 戦功 = | 賞罰 = 勲一等旭日大綬章<br />功二級金鵄勲章<br />子爵<br/>従二位 | 除隊後 = | 廟 = [[青山霊園]] }} --> [[Image:Kawakami Soroku.jpg|300px|thumb|川上 操六]] '''川上 操六'''(かわかみ そうろく、[[嘉永]]元年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]([[1848年]][[12月6日]]) - [[明治]]32年([[1899年]])[[5月11日]])は、日本の[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]、[[華族]]。官位は[[参謀総長]]・[[陸軍大将]]。[[位階]][[勲等]]は従二位・勲一等・[[金鵄勲章|功二級]]・[[子爵]]。幼名宗之丞。長男の[[川上素一|素一]]は[[陸軍少佐]]、娘は[[小原伝]][[陸軍中将]]に嫁ぐ。[[桂太郎]]、[[児玉源太郎]]とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる。 ==経歴== [[薩摩藩]]士川上伝左衛門親徳の三男として生まれ、[[鳥羽伏見の戦い]]・[[戊辰戦争]]に薩摩藩10番隊小頭として従軍する。 戦後上京し[[明治]]4年([[1871年]]4月から陸軍に出仕。同年7月、[[陸軍中尉]]・[[御親兵]]第2[[大隊]]付に任ぜられる。[[近衛兵|近衛]][[歩兵]]第3大隊長、[[近衛歩兵第2連隊]]大隊長、[[参謀本部 (日本)|参謀局]]出仕を経験し階級は陸軍[[少佐]]に昇る。 明治10年([[1877年]])に始まった[[西南戦争]]では[[歩兵第13連隊]]長心得として従軍し功を立てる。 明治11年([[1878年]])12月、陸軍[[中佐]]・歩兵第13連隊長。 明治13年([[1880年]])5月に[[歩兵第8連隊]]長、同15年([[1882年]])2月には[[大佐]]に進み[[近衛歩兵第1連隊]]長に就任する。 明治17年([[1884年]])には[[大山巌]][[陸軍卿]]に随行し欧米諸国の兵制を視察する。帰国後の明治18年([[1885年]])に陸軍[[少将]]・[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]次長、同19年([[1886年]])に近衛歩兵第2[[旅団]]長を務めた後、同20年([[1887年]])には再び[[ヨーロッパ]]に渡り[[ドイツ]]で[[兵学]]を学ぶ。 明治21年([[1888年]])帰国し同22年([[1889年]])3月より参謀次長。明治23年([[1890年]])、陸軍[[中将]]に進級。 明治26年([[1893年]])から[[清国]]に出張の後、同年10月に参謀本部次長に就任し、設置された[[大本営]]で陸軍上席参謀兼兵站総監につき[[日清戦争]]開戦に大きく関わる。明治28年([[1895年]])3月には征清総督府参謀長に任命され、かねてから川上が大いに推し進めた軍の近代化が功を奏し戦功を挙げる。その功により8月に[[勲一等旭日大綬章]]・功二級金鵄勲章を賜り、子爵を授けられる。 [[台湾]]・[[仏印]]・[[シベリア]]出張を経て明治31年([[1898年]])1月に参謀総長に就任。同年9月陸軍大将に任命されるが、翌年5月に薨去する。薨去に伴い従二位に叙され勲一等旭日桐花大綬章を賜る。 薩摩藩出身者として藩閥の中心人物と成りうる人物であったが、本人には派閥意識がまるでなく、出身藩にこだわらず幅広く人材を登用し、教育方面でも、[[成城学校]](新宿区原町)校長を務めるなど、優秀な軍人育成に貢献した。墓所は[[東京都]]港区・[[青山霊園]]。 ==川上操六が登場する作品== [[坂の上の雲]] - [[司馬遼太郎]]・著 ==川上操六が登場する映像作品== * [[夜会の果て]](1997年)NHK、役者:[[森田順平]] * [[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]](2009年-2011年)[[日本放送協会|NHK]]スペシャルドラマ、役者:[[國村隼]] ==著作等== *『印度支那視察大要』川上操六著、(発行者不明)、1897年 <<[[近代デジタルライブラリー]]で閲覧可能>> ==外部リンク== *[http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/kawakamisouroku.html 国立国会図書館 憲政資料室 川上操六関係文書] {{先代次代|[[参謀本部 (日本)|参謀総長]]|1898 - 1899|[[小松宮彰仁親王]]|[[大山巌]]}} {{DEFAULTSORT:かわかみ そうろく}} [[Category:日本の陸軍軍人]] [[Category:戊辰戦争の人物]] [[Category:西南戦争の人物]] [[Category:日清戦争の人物]] [[Category:日本の子爵]] [[Category:アジア地域研究 (歴史)]] [[Category:鹿児島県出身の人物]] [[Category:1848年生]] [[Category:1899年没]]