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2021年10月2日 (土) 11:51時点における最新版

ごちそうさま
放送局 日本の旗 日本
ジャンル 料理番組
放送期間 1971年1月11日 - 1998年3月31日[1]
放送時間 放送時間の変遷を参照
制作局 日本テレビ
企画/PD
監督/総指揮
演出
原作
脚本
出演者 高島忠夫
寿美花代
辰巳琢郎
大東めぐみ
ほか
ナレーション
音声
字幕
データ放送
オープニング 高島忠夫・寿美花代「(不明)」(開始当初 - )
坂田晃一(作曲)
( - 1996年3月
服部克久「収穫祭」
1996年4月 - 放送終了)
エンディング
公式サイト [ 公式サイト]
特記事項:
一部地域は14:15からスタート。
1987年10月から放送終了までは『午後は○○おもいッきりテレビ』に内包。
テンプレート

ごちそうさま』は、日本テレビ系列で1971年1月11日から1998年3月31日[1]まで、平日のお昼に放送された長寿料理番組である。味の素一社提供[2]

概要[編集]

番組の内容は、ゲストが自慢料理を自ら作って紹介したり、金曜日レポーターがおいしい店を紹介するものだった。高島時代は年に何回か地方で公開録画を実施、この時はレポーターも出演した。さらに毎週水曜日は高島夫妻だけが受け持つ「ふたりのキッチンルーム」というコーナーがあった。番組エンディング(正確には2回目のCMに入る前)では原則として、高島が「ごちそうさまでした」のセリフで締める(公開録画の放送日で、かつそれが水曜日に該当する場合は「明日は東京のスタジオからお送りします」も加わる)のが基本であったが、1987年5月21日放送分でゲストを招いた際における「(ゲスト)、頑張ってください」や、「ふたりのキッチンルーム」における「お試しください」「失礼いたします」のセリフで締めるなど多少の例外はあった。

ゲストが歌手だった場合、試食タイムの前にゲストの歌のコーナーを別途に設けていた[3]。通常は番組中程で披露するのが基本だった(そのためこの場合に限り、試食タイム時にピアノ演奏のBGMはない)が、1985年6~7月にTHE GOOD-BYEがゲスト出演した際に最初のCM明けにいきなり披露されるなど例外もあった[4]

さらに番組内CMでは親会社のみならず子会社AGFのCMが流れることも少なくなかった(特に1980年から83年頃までにはOP明けから本編に入るまでの1分間を中心にカーク・ダグラス出演の「マキシム」CMに入ることが頻発していた)ことから、ゲストが菓子類を披露した際には試食タイム(おおよその目安としては13:10頃)になると、AGF製品の姿がチラリと映えることが稀にあった。

1987年6月20日から1988年9月には『味の素・世界ごちそうさま!!』、同年10月から1989年9月には『味の素ごちそうさまワールド・地球おいしいぞ!!』という派生番組が土曜日の22:00 - 22:30に放送された。

番組の終焉[編集]

番組を終了したきっかけは、単独提供スポンサーだった味の素が「すべてのスポンサーの役割を終えた」ことにあるとしているが1997年に発覚した味の素から総会屋への利益供与事件と、それに起因するCM自粛が原因と見る向きが多い。結果的に番組は1998年3月31日[1]に終了し、27年3ヶ月の歴史に幕を閉じることになった。

テーマ曲[編集]

開始当初は高島夫妻による主題歌が存在(題名不明)。スカンク人形の登場からは、坂田晃一作曲による番組独自のテーマ曲(題名不明)が長らく使われることになる[5][6]。高島夫妻降板後のテーマソングは、服部克久作曲の「収穫祭」。

オープニング・エンディング[編集]

1971年の開始当初は、蒸気機関車の走る音とBGMでスタート。その後(時期不明)、1987年5月29日放送分までは、番組冒頭で拍手音をバックに、コック帽エプロンを身につけた着ぐるみスカンク(「スカンク・タロー」と言う名が有った)が出て来て、フライパンをイメージした銅鑼を「ゴワーン」と叩いた後に番組タイトルが表示されていた。

時によって、スカンクが頭を叩かれたり、横槍が入って「ゴワーン」となるなどのバリエーションも有った。また後期にはカワセミの様な鳥の人形が出て来て、スカンクを茶化す事が有った。なお公開放送時は、1日目は収録場所の風景をバックに「ゴワーン」と流し(スカンクは登場しない)、2日目以降はステージで出演者がコントをやり、観客席に居るスカンクが巻き込まれて「ゴワーン」と鳴るものであった。

製作者クレジットは銅鑼の音が鳴り終わり、高島夫妻の挨拶に切り替わった直後、画面右下に「製作 日本テレビ」(1978年1月以降は日本テレビ開局25周年を記念して制定された地球を模した「日」の字の新社章も添付されるようになった)のテロップが出てくるだけに過ぎなかったが、1987年6月1日放送分以降における番組ロゴ変更等を伴う大幅なリニューアルと同時に、番組エンディングに固定表示が数秒ごとに切り替わる形で詳細表示されるようになった。

番組終了時の提供クレジットは、1982年頃までブルーバックだったが、のちに実写タイプに変更された。さらに1985年12月頃からは提供表示が「当時の旧社紋」+「味の素KK」からオール大文字の「AJINOMOTO」(ただしこれは初代英文ロゴで、現行ロゴではない)に変更された。

出演者[編集]

司会[編集]

レポーター[編集]

初期は金曜日のみ『さすらいのくいしん坊』

『さすらいの料理人、解決料理王・進』

放送時間の変遷[編集]

期間 放送時間(日本時間 備考
1971年1月 1971年3月 月曜日 - 金曜日 15:00 - 15:15 単独番組
1971年4月 1971年12月 月曜日 - 金曜日 13:30 - 13:45 単独番組、平日15時枠を1時間ドラマ再放送枠『テレビドラマシリーズ』または『時代劇シリーズ』に変更したため
1972年1月 1987年9月 月曜日 - 金曜日 13:00 - 13:15 単独番組、『お昼のワイドショー』の30分繰上げに伴う
1987年10月 1988年9月 月曜日 - 金曜日 13:05 - 13:20 午後は○○おもいッきりテレビ』に内包
1988年10月 1998年3月 月曜日 - 金曜日 12:55頃 - 13:05頃 『午後は○○おもいッきりテレビ』に内包、5分短縮。開始時刻不定

ネット局[編集]

系列は当番組終了時(1998年3月)のもの。

放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 同時ネット 制作局
北海道 札幌テレビ
青森県 青森放送 1972年1月3日から[7]
岩手県 テレビ岩手
宮城県 ミヤギテレビ
秋田県 秋田放送
山形県 山形放送
福島県 福島中央テレビ
山梨県 山梨放送
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列 時差ネット 1981年3月31日まで[8]
テレビ新潟 日本テレビ系列 同時ネット 開局日の1981年4月1日から
長野県 信越放送 TBS系列 時差ネット 1976年4月5日から1991年3月29日まで[9][10][11]
テレビ信州 日本テレビ系列 同時ネット 1991年4月1日から
静岡県 静岡けんみんテレビ テレビ朝日系列 開局直後の1978年7月3日から1979年6月29日まで[12][13]
静岡第一テレビ 日本テレビ系列 開局直後の1979年7月2日から
富山県 北日本放送
石川県 北陸放送 TBS系列 時差ネット 番組開始当日から1990年3月30日まで[10]
テレビ金沢 日本テレビ系列 同時ネット 開局直後の1990年4月2日から[14]
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
中京広域圏 名古屋テレビ テレビ朝日系列 番組開始当日から1973年3月30日まで
中京テレビ 日本テレビ系列 1973年4月2日から
近畿広域圏 読売テレビ
鳥取県
島根県
日本海テレビ [15]
香川県
岡山県
西日本放送 [16]
広島県 広島テレビ 1975年10月1日から[17]
山口県 山口放送
徳島県 四国放送
愛媛県 南海放送
高知県 高知放送
福岡県 福岡放送
長崎県 長崎放送 TBS系列 時差ネット 番組開始当日から1988年9月30日まで[18][10][11]
長崎国際テレビ 日本テレビ系列 同時ネット 開局日の1991年4月1日から
熊本県 熊本放送 TBS系列 時差ネット 番組開始当日から1982年3月31日まで
くまもと県民テレビ 日本テレビ系列 同時ネット 開局日の1982年4月1日から
大分県 テレビ大分 日本テレビ系列
フジテレビ系列
同時ネット

→ 時差ネット

番組開始当日から1988年9月30日まで[18][10][11][19][20]
宮崎県 宮崎放送 TBS系列 時差ネット
鹿児島県 南日本放送 番組開始当日から1982年9月30日まで
鹿児島テレビ フジテレビ系列 同時ネット

→ 時差ネット

1982年10月1日から1992年9月25日まで[21][10][22]
鹿児島読売テレビ 日本テレビ系列 同時ネット 開局日の1994年4月1日から
沖縄県 沖縄テレビ フジテレビ系列 時差ネット 1979年4月2日から1988年9月30日まで[18][10][11]

ネット局に関する備考[編集]

  • 13:30開始時代(1971年)までは、日テレ系列局でも、編成の都合で未ネットの系列局があった[23]
  • 当番組は単独番組時代を中心に、日本テレビ系列以外の局も含め、後続の『おしゃれ』(→『三枝成章の気まぐれ』とともに、全国31局ネットとほぼ全国完全ネットに近い状態で放送されていた[24]。放送されていなかったのは佐賀県のみ[25]
  • 日本テレビ系列外の局では、単独番組時代は14:00から『おしゃれ』を先に放送し、そのあとの14:15に当番組を放送する編成が組まれていた[26]
  • 長崎放送(NBC)は時間短縮に伴う当番組の打ち切りにより、1988年9月30日を以って日テレ系の帯番組枠を完全に撤廃した[27]
  • 鹿児島テレビ(KTS)は日テレ系新局(KYT)の1994年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため、その1年半前の1992年9月25日を以って打ち切り。1992年9月28日からは平日午後(12~15時台)の帯番組を全てフジテレビ系列に統一。これにより、1992年10月改編以降の当番組単独での帯ネット局が完全に消滅した。
  • また、九州地区並びに沖縄県では『おもいッきりテレビ』内包後の当番組単独ネットを長崎放送(NBC)・テレビ大分(TOS)・宮崎放送(MRT)・沖縄テレビ(OTV)各局がこぞって1988年9月30日を以って打ち切る中、唯一鹿児島テレビ(KTS)のみがその4年後まで続け、1987年10月以降当番組単独ネット全国7局の中で、最も長くそれを行っていた。 

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 Gochisosama
  2. 但し、提供スポンサーの読み上げアナウンスを行うのはエンディングのみ。
  3. 高島が一定時間に達したところで「それでは、歌のスタンバイをどうぞ。」と発するお約束事があり、それに続いて高島は一例として「それではクッキーが焼けるまでお聴きいただきましょう。」と発した。
  4. グッバイ風茶漬け - Youtube
  5. 坂田晃一 Official Site Worksより。2015年6月7日閲覧。
  6. 1987年6月1日から1996年3月までは、テーマ曲をアレンジしたものを使用。
  7. 出典:1971年12月21日から1972年1月10日の東奥日報・RABテレビ欄から。13時開始時期の出典も同じ。
  8. 平日14:45 - 15:00に遅れネット(「新潟日報」1981年3月31日、20面テレビ欄、朝刊)。
  9. 1976年4月5日付 信濃毎日新聞 テレビ欄から。
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 信越放送(SBC)・北陸放送(MRO)・長崎放送(NBC)・テレビ大分(TOS)・宮崎放送(MRT)・鹿児島テレビ(KTS)・沖縄テレビ(OTV)各局とも、1987年10月5日以降の未放送番組『午後は○○おもいッきりテレビ』内包後も単独番組としてネット(但し、長崎県では当時日テレ系列のテレビ長崎が『おもいッきりテレビ』を番組開始から1990年9月28日まで、12時台の1時間のみネット)。
  11. 11.0 11.1 11.2 11.3 このうち、信越放送(SBC)・長崎放送(NBC)・テレビ大分(TOS)・宮崎放送(MRT)・沖縄テレビ(OTV)の各局は『おもいッきりテレビ』内包後、同コーナーの当番組と『昼下がりのカルチャー』を合わせてネット(但し、SBCを除く4局は1988年9月30日を以って打ち切り)。
  12. 但し、日本テレビ系列時はNNS非加盟。
  13. 現在の静岡朝日テレビ
  14. 開局前のサービス放送期間中には本番組を内包している『おもいッきりテレビ』がフルネットで放送されるも、本番組は放映権移行前のため、当該内包時間は『ハートカクテル』の遅れネットに差し替え。
  15. 但し、放送エリアは1972年9月まで、鳥取県のみが対象。
  16. 但し、放送エリアは1983年3月まで、香川県のみが対象。
  17. クロスネット解消前日の1975年9月30日まで、当該時間帯にフジテレビ系番組を同時ネットしていたため、当番組は未放送。
  18. 18.0 18.1 18.2 放送時間5分短縮による帯ネット継続不能のため、打ち切り。
  19. テレビ大分(TOS)は開局から1987年10月2日まで、平日13時台前半は日本テレビ系番組を同時ネット(当番組 + 『おしゃれ』 → 『三枝成章の気まぐれ』)。当番組と『昼下がりのカルチャー』打ち切り後の1988年10月3日以降、当該枠は同じく日テレ系の時差ネット枠『朝の連続ドラマ』(読売テレビ)へ切り替え。開局から1993年9月30日まで、テレビ朝日系列にも加盟。
  20. 宮崎放送(MRT)は7年半後の1996年4月5日より毎週金曜日のみ1週遅れで放送を再開し、午前中にネット(最終回は1998年3月27日)。
  21. フジテレビ系シングルネット化準備改編による平日午後の日テレ系帯番組枠撤廃のため、打ち切り。1992年9月28日以降、当番組の終了枠は直前枠のローカル帯番組『2時いろトーク』の放送拡大分(それまでの放送時間45分から55分)へ充当。
  22. 1982年10月1日から1987年10月2日まで、平日13時台は日本テレビ系番組を同時ネット(当番組 + 『おしゃれ』 → 『三枝成章の気まぐれ』 + 『三枝の爆笑夫婦』 → 『今日もワクワク』 → 『SAKAIです〜デザートーク〜』)。開局から1994年3月31日まで、日本テレビ系列にも加盟。
  23. 出典:東奥日報1970年12月・1971年1月・3月・4月・9月・10月各月及び12月21日から1972年1月10日までの青森放送テレビ欄から。
  24. 但し、『おもいッきりテレビ』内包後のコーナー番組『昼下がりのカルチャー』は、13時20分前後に飛び降りしていた一部のネット局では一時期未放送。
  25. 但し、佐賀県では福岡放送(FBS)が県内の大半で受信できる。
  26. 一方、NNS非マストバイ局やクロスネット局の一部では、本番組の後に『ライオンのいただきます』(フジテレビ系)を放送していた局がある。
  27. 1988年10月3日以降、系列外の帯番組はテレビ朝日系『モーニングショー』同時ネット枠と平日12時台(『欽ちゃんのどこまで笑うの?!』 → 『お昼のマイテレビ』)時差ネット枠のみが残留(テレ朝系新局・NCC開局直前の1990年3月30日まで)。
日本テレビ 平日15:00 - 15:15枠
前番組ごちそうさま
(1971年1月 - 3月)
次番組
奥さま本番です
(13:00 - 13:30)
テレビドラマシリーズ
または
時代劇シリーズ

(再放送枠)
(15:00 - 16:00)
※ここから関東ローカル
日本テレビ 平日13:30 - 13:45枠
ライオンお笑いネットワーク
(13:30 - 13:55)
※13:45 - 14:00で継続、
YTV制作
ごちそうさま
(1971年4月 - 1971年12月)
ライオンお笑いネットワーク
(13:30 - 13:45)
※15分繰り上げ
日本テレビ 平日13:00 - 13:15枠
お昼のワイドショー
(12:30 - 13:30)
※30分繰り上げ
ごちそうさま
(1972年1月 - 1987年9月)
午後は○○おもいッきりテレビ
(12:00 - 15:50)
番組自体は、「おもいッきりテレビ」に内包して、1998年3月まで継続。


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